カテゴリ
以前の記事
2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 フォロー中のブログ
リンク
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
中学・高校と6年間学んだ先生がお亡くなりになりました。
62歳の若さ。 6年を通して学年主任で、高校卒業前の2年間は担任でした。 英語の先生で在学中は皆を下の名前で呼ばれるので、思春期の私達には 少し抵抗があったことを覚えています。 声が大きく、少し口うるさく、熱い人。 自転車の通学路に立ってヘルメットチェックをよくされていて、ヘルメットを かぶっていないところを見つかるとめちゃめちゃ怒られて、自転車通学1週間禁止に されたこともありました。 修学旅行で悪さをした男子生徒を退学させる代わりに、館山にある養護学校まで 一緒に歩いて行ってボランティアをさせたこともありました。 歌がお好きで、英語の授業の一環で『We are the world』を皆に覚えさせ、 大合唱したこともありました。 晩年はつくばの奥地にご自身で手作りした素晴らしいログハウスで、奥様と 天然記念物のアイヌ犬と悠々自適生活・・・と思いきや、早期退職されて なんとお庭に校舎を建設して、インターナショナルスクールを開いてしましました。 そのバイタリティたるや驚きです。 数ヶ月に1度、音楽家である姪御さんや、お友達の音楽家を招いた音楽会、 時には落語会なども開催されていて、よくご案内をいただいてました。 夫も高校2、3年は同じ先生のクラスだったこともあり、結婚式にも来ていただいた 唯一の先生でした。 アポなしで夫と遊びに行った時には、大変歓迎してくださり、庭にたくさん落ちている 栗の実を拾って自ら石焼にしてもてなしてくださったり、同級生数人で遊びに行った時も 大きなローストチキンを振舞ってくれたりしました。 今度は泊まりで来て、一緒にお酒を飲もう!とお話していたのに、実現しないうちに 今回の悲しい報せ。 お通夜は平日でしたが、どうしても行かなければと思い、会社を16時には出て 向かいました。TXの運行状況がよくないと義父から聞いていたので心配しましたが 運良く快速のつくば行きに乗ることができました。 つくば駅に降り立ったのは初めてです。 降りる人の中には見知った顔もたくさん。 また、若い人がたくさん葬儀場に向かっているとタクシーの運転手さんも話していた通り 斎場につくと200人はいるか、という弔問客が集まっていました。 祭壇中央に飾られた先生の遺影。その笑顔に、いまだ信じられない思いと、 本当に亡くなってしまったんだ・・・という言いようのない悲しさがこみ上げました。 先生がお庭でクモ膜下出血で倒れられたとき、地震後1週間インターナショナルスクールを 休校とされていたため、だれも近くにいなかったのだそうです。 もし学校がやっている日だったならスタッフや生徒がたくさんいて、もう少し早く発見することが できたかも・・・。本当に悔やまれます。 奥様が悲しみの中にも気丈に、「本人が一番びっくりしてると思います」とおっしゃるように 本当に先生ご自身が一番悔しかったことでしょう。 本当に本当に残念です。心からご冥福をお祈りします。 その後、20人以上来ていた同級生とファミレスに移動して先生の思い出を語り合いました。 先生を慕う生徒がこんなにもいるんだという事実。 先生の熱い語り口調、時には面倒だと思えたお説教も今は懐かしい時間です。 軽い同窓会のような様相で、先生がいらっしゃらないのがなんだか不思議に思えました・・。 帰りもTXで無事東京に到着。 電車のありがたみと電気の大切さを実感した夜でした。
by sasamikitchen
| 2011-03-23 23:30
| 事件
|
ファン申請 |
||